2004年10月 8日 (金)

ライヒ・セラピー

(1995年6月18日 弟への手紙)

先週の土日の2日間、「ライヒ・セラピー」のワーク・ショップに行ってきました。滋賀県大津市の天台宗のお寺を借りて、ブラジル人のセラピストを招いて行われ、30人くらいの人が参加していました。

わたしはたまたまその3日前に図書館で借りた本を読んで、このセラピーに興味を持ち、その執筆者に電話で問い合わせたところ、「ワーク・ショップは年に3回やっていて、ちょうど3日後にそれがある」と言うので、さっそく行ってみたのです。

ライヒ・セラピーの理論というのは、たぶん次のようなものだと思います:

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人は、受胎し、誕生し、成長していく過程の中で、様々な強い感情 (怒り、恐怖、悲しみ、愛の欲求…etc.) を経験し、それぞれの感情のエネルギーは、それに関連した体の部位の筋肉を緊張、収縮させる。

例:
・怒ったとき……目、口、あご、首筋、肩甲骨、骨盤、が緊張する
・怖いとき………首、横隔膜、腹、脚、が緊張する
・悲しいとき……目、口、あご、首、胸、が緊張する

そしてそのとき、その場でその感情のままに思いっきり叫んだり、泣いたり、力をつくして怒りや恐怖の対象と戦ったり、全速力で逃げたり、愛の欲求の対象を抱きしめたり、抱きしめられたり…といったことが行われると、そのエネルギーは解放され、緊張していた筋肉は弛緩し、生命エネルギーの活性化と精神の高揚が起こる。

ところが反対に、そのとき何らかの事情でその感情のエネルギーをその場で解放できないような状況に置かれていると、それらの部位の筋肉は緊張したまま硬直化し、以後の人生のことごとくがその硬直化の元になった感情の色合いを帯びたものとして体験されるようになる。
(たとえば、首、横隔膜、腹、脚が緊張している人は、些細なことにも恐怖を感じる臆病な性格になる。)

神経症、不感症、無気力、無感動、奴隷的な性格、ヒステリー、攻撃的な性格…などは、そういう筋肉の硬直化が作り出したものである。

この硬直化を解かすには、その元になった強い感情を再体験し、その感情が声や体の動きとなって現れるにまかせ、その筋肉の緊張を保持しているエネルギーを使い切ってしまえばよい。

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というわけで、そのためのボディ・ワークというのがいろいろ考案されていて、それを全部こなすには465時間くらいかかるのだそうですが、わたしはそのうち12時間分のワークを体験してきたというわけなのです。

そのワークの中で、わたしにとって特に効果があったと思われたものが2つありました。

1つは「自分の意志と相手の意志を正面からぶつけ合う」というワーク、もう1つは「出すことをあきらめて心の底にとじこめられていた欲求を、その欲求になりきって出す」というワークです。

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まず、「意志をぶつけ合うワーク」は、2回に分けて行われました。

1回目は、30人くらいの参加者全員が四つんばいになって、好き勝手な方向に床を這いまわり、他者とぶつかったら肩と肩を突き合わせて押し合います。まるで山羊か野牛が縄張り争いをしているような感じです。

ふだんの生活では、ほとんどの日本人は「相手や全体の意向に合わせる」という習慣に従って行動しているため、他者と意志をぶつけ合うことはほとんどありません。

わたしはこのワークをやってみて、「他者の意志」とはどういうものか、「自分の意志」とはどういうものか、初めて体感として納得できた気がしました。

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2回目のワークはもっと強力でした。

2人ずつ組になり、足をふんばって、向かい合って立ち、相手と両手を合わせ、指を組み合います。そして目と目を見つめ合ったまま、その両手で押し合います。

このとき筋力だけでなく、顔の表情と叫び声も使って、相手を威嚇するようなエネルギーを出します。

わたしの組んだ相手は、柔道部員のような体つきの30代の男性で、筋力はわたしよりはるかに勝っていたと思います。でもわたしの体からは、その筋力の足りない分を補うだけの意志の力が出ていたようで、相手と互角に戦っているという実感がありました。

わたしは5年前から子宮筋腫があり、今ではグレープフルーツくらいの大きさになっています。ライヒの説によると、子宮筋腫は骨盤に閉じこめられた怒りのエネルギーのためにできるということですから、相当の量の怒りのエネルギーが閉じこめられているのでしょう。

その怒りのエネルギーが全身を流れだし、わたしは怒りのエネルギーそのものになっているのを感じ、「ギャオーッ! グヮオーッ!」と野獣のような吠え声が腹の底から出ていました。相手の男性も同様に、肩をいからせ、目をらんらんと輝かせ、歯をむき出して吠えていました。

わたしはこんなに自分の力を出しきって戦ったのは生まれて初めてで、全身で生ききっているという、すばらしく力強い快感がありました。

そしてそのエネルギーを最後の最後までふりしぼるようにして出し切った後は、もう攻撃エネルギーは体のどこにも残っていないという、気の抜けたような感じがし、わたしも彼も、ひとりでにケラケラと笑いだしていました。

もしこれが現実のいがみ合いによる喧嘩だったとしたら、これですっかりいがみ合う気持ちがなくなり、たがいの主張に耳をかたむけ合う気になっていたのでは ないかと思います。

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野生の動物は、群れのリーダーを決めるときや、2匹のオスが1匹のメスをめぐって争うときは全力で戦うけれど、自分の意志と力を出しきって、相手の意志と力が勝っていると認めたら、その場であお向けに寝ころび、急所の喉笛を相手の顔の前にさらすそうです。そうすると相手も戦意を無くし、以後はこの2者が争うことはないそうです。

これに対して、人間の喧嘩は殺し合いにまで発展することがあります。

これは、怒りのエネルギーがわき起こったとき、その場で出してしまわないで体内に溜めこんでいるため、そこから恨みや憎しみの感情が派生し、そのエネルギーがそれ以上閉じこめきれなくなって爆発することから起こるのではないかと思います。

恨みや憎しみを伴わない怒りのエネルギーは、単なる自己主張のエネルギーであり、他者を害する目的を持つものではなく、完全に出しきってしまいさえばそれで気が済むものではないかと思いました。

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次は「出すことをあきらめていた欲求を出すワーク」について:

これもやはり2人ずつペアになりますが、1人はワークをやる主体、もう1人は介助者になります。

最初の日、わたしは主体をやらせてもらい、介助者には、このセラピーに10年間くらい関わっているという、経験豊かな69才の男性がなってくださいました。わたしは仰向けに寝ころび、介助者は体をとても上手にマッサージして緊張をほぐしてくれ、その間わたしはリラックスして「出すことをあきらめていた欲求」に意識を集中していました。

わたしは12年くらい前までは、「自分が生きにくいのは、親の育て方や学校教育や社会のしくみが悪いからだ」という被害者意識が強かったのですが、その後のいろいろな心理的体験により、「親も世間の人たちも、皆それぞれに重荷を背負って精一杯生きているんだ。わたしの人生はわたしの責任だ」という気持ちに変わっていました。

それで、「いまさら出したい欲求なんか無いみたい」という気がして、そのことを介助者に言ったとたん、ふと別の思いが浮かびました。

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わたしは小さい頃、よくお母さんやお祖母さんから言葉使いのことで注意されていたという記憶があり、今でも自分の中に、言葉使いに対する抑圧が強く残っているのを感じています。

たとえば、初対面の人とは、その人が敬語を使うべき相手かどうかがわかるまではリラックスして話せないし、いわゆる「下品な言葉」は、口に出すだけでも抵抗を感じるのです。

そして、〇〇家 (隣の家) の人たちが家族同士で「この外道されが!」とか「わりゃあ、このクソ餓鬼が!」などと大声で罵倒しあっているのを見ると、その自由さがうらやましかったし、古典落語などでも、長屋の住人たちが「なに言ってやんでえ、このおかめ!」「おかめで悪かったね、このスットコ野郎!」などとポンポンやりあうのが小気味よい感じがしていました。

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それで、介助者の人に、「絶対言えないと思っていたことを言ってみます」と言ってから、目を閉じたまま「馬鹿野郎…、畜生…、糞…」と口に出して言ってみました。

(このとき介助者は、仰向けに寝ているわたしの体をまたいで立ち、両方の手の平を上からしっかり抑えて抵抗感を与えていてくれました。)

始めは感情が伴わず、メモか何かをぼそぼそと読んでいるような感じでしたが、何度か繰り返しているうちに、とつぜん下腹からガーッとエネルギーが噴出してきて、わたしは強い力で介助者の手の平を押し上げ、足で床を蹴りながら、「このやろーっ! ばかやろーっ! ちきしょーっ! ばかやろーっ! くそーっ! ちきしょーっ! ちきしょーっ! ちきしょーっ! しねーっ!」と、ものすごい声で叫んでいました。

そして、エネルギーが出尽くすと、フッと気が抜けて叫び声が止まり、涙が出ていました。

下腹の中が空っぽになったような感じがあったので、思わず手で触ってみると、筋腫の固まりは、やっぱりまだそこにありました。5年間かけて大きくなったモノなのだから、そんなに簡単に消えるものではないのでしょう。

でも、こういうワークを繰り返していれば、いつかは融けてしまうのではないかという気がしています。

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この数年来、「生命エネルギー」「性エネルギー」「創造のエネルギー」「愛のエネルギー」「癒しのエネルギー」は、みな同じものなのだということを感じるようになり、そのことについて自分の考えを文章にまとめようとしています。

教育も、宗教も、芸術も、医療も、環境問題も、人間関係も、セックスも、出産も、すべてこの根本のエネルギーをどう考えるかということで、わたしの中ではつながっているのですが、それを表現する言葉を探すのに四苦八苦しているところです。


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【注】: 「ライヒ・セラピー」というのはわたしが勝手に呼んだ名前で、
    正式名称ではありません。
    このセラピーの正式名称は、「バイオシンセシス」というそうです。
    詳しくはバイオシンセシス研究センターの公式サイトをごらんください。


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