2008年3月27日 (木)

山元加津子さんのお話 (1)

ずいぶん久しぶりの更新です。今日は、わたしがお気に入りに登録しているサイトの中でも特におすすめのサイトを紹介させていただこうと思います。

サイト名は 『たんぽぽの仲間たち』、作成者は山元加津子さんという養護学校の先生で、内容は、山元さんがその時その時に出会った人たちについてのエッセイ集です。

山元さんはいつも全身全霊で人と接しておられるので、相手の方とのあいだに深い深い出会いが起こります。そのエッセイを読んでいると、心が洗われ、やわらかい、やさしい気持ちになってきます。もし世界中の人が、毎朝このエッセイを読むか、山本さんのお話のCDや音声ブログを聴いてから一日を始めることにすれば、この世界から争いごとは消えてしまうのではないか……そんな気がします。

山元さんが養護学校で出会った大切なお友達、雪絵ちゃんは、熱が出るたびにだんだん目が見えなくなったり手や足が動かしにくくなる、多発性硬化症という病気でした。その雪絵ちゃんが亡くなる前に、山元さんに、とても真剣なお願いをしました。「障害を持っている人も、そうでない人も、一人一人みんな価値のある、かけがえのない人であり、そのままの自分を好きになっていいんだよということを、世界中の人が知っている世界にしてほしい」 というのです。

山元さんは、そんなことが自分にできるはずがないと思ったけれど、雪絵ちゃんはそのまま亡くなってしまいました。

それで山元さんは、養護学校教師であり、作家、イラストレーターであり、一家の主婦であり、3人の子供の母親である忙しい身にもかかわらず、雪絵ちゃんとの約束を守るため、著書や、講演や、ホームページや、音声ブログや、写真ブログで、一生懸命そのメッセージを伝え続けておられます。

そして、「ホームページに書いてあることを、著作権などは全然関係ないので、自由に使って、できるだけ多くの人に紹介してほしい」 とも言っておられます。

というわけで、『たんぽぽの仲間たち』 のエッセイの中から、わたしのいちばん好きなお話4篇をここに転載させていただきます。

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ゆうきくんの探していたもの
         (元の掲載先は こちら です。)

ゆうきくんの足どりは、前にもましてしっかりして、速度を速めているようでした。わたしはいったいここがどこなのか、学校を出てから何時間たったのか、時計を見る余裕も、街の名前をたしかめる余裕もなくしていました。前を駆けるようにして歩いて行くゆうきくんの姿をただ見失わないようにと、それだけを思っていました。ゆうきくんの軽やかな足どりに比べてわたしの足どりは重く、他の誰と比べても足が遅くマラソンも苦手なわたしにとって、今の状態はもう限界をはるかに越えているような気もしました。

(学校のみんなが心配しているに違いない・・・)わかってはいても、公衆電話に駆けこむ間にゆうきくんを見失ってしまうに違いないという思いから、まだ電話もかけれずにいました。

(ゆうきくんはどこに向かって歩き続けているのだろうか? あてもなく歩いているのだろうか? それとも何かを探しているのだろうか?)

前だけを見て歩き続けているゆうきくんは、もう行き先を決めているようにも見えました。けれどゆうきくんの気持ちを知る方法を知らないわたしには、もう何時間も歩き続けているゆうきくんは、ただ歩きたくて歩いているだけのようにも感じました。

ゆうきくんのお母さんの言葉が、さっきから頭の中に何度も何度も浮かび上がってきていました。今年の四月のはじめのことでした。スクールバスの発車の時間に遅れてしまったり、電話がないままお母さんがご自分の車でつれてこられることがたびたびあるということで、主事の先生からゆうきくんのお母さんに、「他のお母さんが待っているのだから気をつけてほしい」 というお話があったのです。

おかあさんは少しためらわれて、やるせなさそうに溜め息をつかれた後、怒りを抑えきれないような激しい口調で話し始められました。

「わたしたちの苦しみなんて、誰もわからないんです。学校の先生にはとてもお世話になっています。でも学校の先生は、学校にいるあいだだけ、それも仕事じゃないですか。わたしたちはずっとなんです。ほっと安心していられるのは、この子が眠っているときだけです。それだからといって、眠っているからと安心して眠れるわけじゃないんです。もしわたしがこの子より後に起きたら、この子はもう家にはいないかもしれないんです。

いつの頃からか、この子はすぐに外へ走り出すようになりました。わたしはそんなとき、寝ている赤ん坊の弟をただひっつかむように抱きあげて、あの子の後を追いました。追いかけて追いかけて、捕まえようとしても、するりと抜け出してしまいます。そうなったら、わたしの追いつかない早さで走って行ってしまいます。だからわたしは、ただあの子のあとを追うだけでした。

赤ん坊がおなかをすかせて泣いても、おむつをずっと替えないまま、もう、おしっこもうんちも中でしていると分かっていても、それでおむつかぶれがひどくなっていっていることが分かっていても、おむつを替えたりミルクをあげることなんてできないんです。泣き叫ぶ赤ん坊を抱いていると、まわりの人がわたしのことを、鬼とでもいうように見ます。そんなことなんて、気になんてしてられないんです。下の子には、運命なんだから仕方がないのよと思わせてきたんです。

下の子が一歳半になったとき、荒れ狂う海にゆうきが入って行ったことがありました。下の子は一歳半、言い聞かせても分かるはずがないのに、「ここにいなさい。すぐ戻るから、追いかけてきてはだめ」 と言いきかせて弟を浜辺に置き、ゆうきを追いました。

ご存じでしょうけど、まだ一歳半と言えば、親といつもくっついていなければ安心できない年頃です。かといって、下の子をつれて海に行くことなどできるはずもなく、けれど追いかけなければゆうきが死んでしまうから、わたしを追おうとする下の子を、たった一歳半のその子の頬をひっぱたいて、ついてくるなと叱りつけ、泣き叫ぶ子を岸において、ゆうきを追いました。

それまでだって、いっそ死んでくれたらと、ゆうきのことを何度も思ってしまったことはあったけど、いま荒れ狂う海にむかって歩いている子の後を追わないでなぞいられないんです。

ですが、毎日毎日の繰り返しの生活の中で、今日はもう追うことをやめようと思ったことも、一度や二度ではありませんでした。追いかけている途中、もうやめたと座りこんでも、あの子は決してふり返らないんです。わたしが後を追っていようと追っていまいと、そんなことは気持ちの中にないんです。あの子の心にわたしなど、どこにもいないのかもしれません。

朝、あの子をバスに乗せようとすることが、どんなに大変なことなのか、察してはいただけませんか? 連絡する余裕がわたしにあったら、わたしだってもちろんします。それができないんです。わたしの気持ち、先生にわかりますか?」

お母さんのお話に、主事先生もわたしたちも言葉を失っていました。自分たちのただ一人として、お母さんのされていることの何分の一もできないと思いました。

こんなこともありました。参観日に来られたお母さんが話してくださったのです。

「下校の学校のバスから降りると、ゆうきはまたいつも歩き出します。今では保育園の下の子は家で待つようになって、助かっています。それでもまだ、保育園の他の友だちが『お母さん、お母さん』と甘えているのを見ると、下の子が不憫になるんです。あきらめてもらうしかないと思っています。

でも、ゆうきはこの頃、どうして道がわかるのか不思議なんですけど、夕方、日の沈む頃になると、決まってわたしの車が停めてある駐車場へ帰ってくるようになりました。初めての道でも決して迷わずに、いつのまにか戻って来れるんです。どこへ行ってもそうです。そしてわたしの車に乗りたがります。わたしたちは、決まって海に行くんです。夕日が沈むのを二人で見ていると、こんな静かな時間を二人で持てるようになる日が来るなんて考えもしなかったなあ、と幸せな気がします。今でも歩きまわることは変わってはいないけど、いつか、もっと静かでゆっくりした時間があの子と持てるかも知れない、という希望のようなものを感じるんです」

学校では、入学当初をのぞいて、ゆうきくんが一人でどこかへ出かけるということはほとんどありませんでした。たまにどこかへ行こうとしても、大きな声で「ゆうきくーん」と呼ぶと、少しいらいらして頭を自分の手でごんごん叩きながらも帰ってきてくれていたのです。

けれど四日前、悲しいことが起きてしまったのです。朝、ゆうきくんを送られたお母さんは、そのまま車でどこかへ出かけられる途中だったのだそうです。一旦停止の場所で、どうしてだかお母さんは一旦停止をされずに直進したのです。そしてとてもとても悲しいのですけど、ゆうきくんのお母さんは、大きな車とぶつかって、亡くなられてしまったのです。

 わたしたちも、朝お会いしたところだったので、その電話が信じられませんでした。下校時までゆうきくんは学校にいて、それからわたしがゆうきくんの家まで送りました。お父さんは悲しみの中で、お通夜とお葬式の間のゆうきくんのことを心配しておられました。「わたしの家に来ていただいてもかまわないのですが」とお話しても、お父さんは首を縦には振られませんでした。

「ゆうきは、亡くなった母親が、自分の身体の一部のようにして守って大きくしてきたんです。父親として、僕は何ひとつできなかった。これからは、僕がゆうきを守っていかなければなりません。しかし仕事もあります。あまりにも大きい母親の苦しみを、今になって思います。しかし、母親は自死ではないと信じています。ゆうきが戻る前に夕飯の買い物をするために、いつものあの道を通ったんです。苦労は人一倍しているけれど、あれはゆうきがいい方へ向かっていると、この頃うれしそうだったんです。

夜は母親でなければだめなんです。先生に迷惑はかけられません。施設に二、三日入所を電話で申し込みましたが、今すぐでは職員の都合がつかないということでした。しかたがないので、三日間病院に入れることにしました。あの子を鍵で閉じこめることは忍びないし、それは母親があれほど苦労しながらも決してしなかったことだけれど、ゆうきの命を守るためなので、三日間だけゆうきにも母親にも目をつぶってもらおうと思います」 

それが昨日までの三日間でした。ゆうきくんの同級生のお母さんが、昨日の晩ゆうきくんを見かけられ、「母親が亡くなったことも知らないでいる様子のゆうきくんが哀れに思いました。うちの子だって、わたしが亡くなっても悲しむということはないでしょう。これが障害者を子供に持った者の、親の悲しみです」と連絡帳に書いておられました。

ゆうきくんは今日、朝から落ち着かない様子でした。あっちへ行ったりこっちへ行ったりして、椅子に座っている時間がとても短かったのです。わたしはできるだけゆうきくんのそばにいようと思いました。同僚にも、「今日はゆうきくんのそばにいたいので、他の子供たちへの補助をお願いします」と頼んであったのです。

それなのに、ゆうきくんの前にいて、振り返ったときに、もうゆうきくんの姿がそこにありませんでした。外を見ると、グラウンドのポプラの木の下をゆうきくんが駆けて行くのが見えました。大声で同僚に「お願いねー」と言い残して、内履きのまま外へ飛び出しました。

ゆうきくんは、少しも後ろを見ずに歩き続けています。疲れるということをまるで知らないみたいに、速度をゆるめず歩いています。こんなふうにして、お母さんはいつもいつもゆうきくんの後を歩いておられたのです。ゆうきくんは何を、そしてお母さんは毎日何を考えて歩いておられたのでしょうか?
 
そんなことを考えて、ぼっとしてしまっていたのだと思います。車の急ブレーキの音に、心臓がドキっと大きな音をたてました。ゆうきくんは赤信号で道路をわたって行きました。身体の力がへなへなと抜けていくようでした。けれどわたしだって信号が青に変わるのを待ってなんかいられません。クラクションが幾度も大きく鳴ったけど、そしてとても恐かったけど、謝るように頭を下げながらあとを追い続けました。

もう昼もとうに過ぎた頃です。お母さんがおっしゃるとおり、どこを通っていても、ゆうきくんが道を知っているのなら、おなかがすけば学校に帰るのではないかと期待していたことも、もうとうにあきらめていました。病院の鍵のかかる部屋に三日間もいて、今ゆうきくんは歩きたくてしょうがなくなっているのでしょうか?

もう学校が終わる頃です。道行く誰かに何かをことづけようと思ったけれど、ゆうきくんを見失わないようにすることが精一杯で、それもできないままです。ああ、お母さんはこんなふうにして毎日すごしていたのだ・とまた繰り返し思いました。もう足も痛くてたまらず、いるはずのない学校の同僚が捜しに来てくれてはいまいかと、あたりを見渡しました。いつのまにか繁華街はとうに通り過ぎ、狭い路地に入ってきていました。ゆうきくんは知っている道なのか、変わらずどんどん歩いて行きます。

そして角を曲がって行きました。見失わないようにと急いだとたん、足がもつれて、そのまま溝に落ちました。もうわたしの足は限界に来ていたのだと思います。あわてて立ちあがって歩き出し、角を曲がったとき、もうゆうきくんの姿はそこにはありませんでした。 身体がかっと熱くなるのがわかりました。そして急にがくがくと身体がふるえました。お母さんが守ったゆうきくんを、わたしがどうにかしてしまうのではないかと思いました。

「ゆうきくん、ゆうきくん」大声で呼びながら、路地の反対の路地を曲がったとき、そこに広がった景色に息をのみました。ただ追いかけるだけで、どこをどう歩いたのかも知らずにいたけれど、そこには大きな海がありました。狭い路地から急に広がった大きな海は、思いもしなかった景色でした。

そして港のコンクリートの端っこに、ゆうきくんは立ち止まっていました。(ああ、ゆうきくんがいた!) ゆうきくんのそばに行ったとき、わたしの心臓がまた早鐘のように鳴り出しました。信じられないゆうきくんの姿をそこに見たのです。いつもいつも、動いているか、ただぶつぶつつぶやくだけで表情を変えることがなかったゆうきくんが、涙を流して泣いていたのです。

「海に来ようとしてたんだね。お母さんに会いに来たんだね。お母さんを探していたんだね」。泣いているゆうきくんを、わたしも泣きながら抱きしめました。

お父さんに今日あった話をしたときに、お父さんがやっぱり泣きながら、わたしの目の前にノートを差し出されました。それはお母さんの日記でした。お父さんの指し示されたところには、こんなふうなことが書いてありました。

「わたしは今、やっとゆうきの探していた物がわかった気がします。ゆうきは学校バスを降りて、わたしの車を探すために歩きだしていたのです。回り道のように見えても、ゆうきは夕方、日が沈む頃のわたしの車を探し出すために歩いていたのです。ゆうきが小さかったときも、きっとそうだったのだと思います。眠っているわたしのそばを抜け出して、ゆうきが会いたい時間のわたしを探すために、歩いていたのです。

こんなこと言っても、誰もわかってくれないかもしれない。でも、何年も何年もゆうきのあとを追って歩き続けてきたわたしにはわかるのです。ゆうきはわたしのことなど少しも気にしていないと思っていたのに、違っていたのです。あの子がいつも探し続けているのは、母親であるこのわたしだったのです。それがわかったことで、わたしはなお、ゆうきを愛せると思いました」

「この日記を読んで、決心がつきました。仕事をもう少しゆうきの時間に合わせられるものに変えようと思います。ゆうきはこれからも、母親を探し続けるために歩き続けるでしょう。それとも母親がいなくなったのに気がついて、歩き続けることをやめるでしょうか? それとも今度はわたしを探してくれるようになるでしょうか? どちらにしても、わたしはゆうきと弟のことを考えたいと思います。あの子たちはわたしたちのところに、わたしたちの子供として来てくれたのですから」
お父さんが何度も自分で自分に相づちをうちながら話されました。


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2008年3月28日 (金)

山元加津子さんのお話 (2)

  ◇ このお話は こちら に掲載されています。
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ウンチ記念日

ユーちゃんとは三年間一緒にいることができました。そのころユーちゃんは、壁にウンチを塗ることや、髪の毛にウンチをつけるのが気にいっていたようでした。「ウンチは汚くて臭い」という思いからどうしても抜け出せずにいるわたしは、いったいどうしてユーちゃんがこんなことを好きなのかなあ…と不思議でした。だからユーちゃんの気持ちがどうしてもわかりたかったです。

ユーちゃんが好きなのは、ウンチをつかんだ感じなのかしら、それともウンチのにおいなのかしら? もし感じなら、粘土で代わりができないのかしら? ユーちゃんはマジックも好きで、いつも匂いをかいで鼻の頭にマジックをつけてしまうくらいだから、ウンチと違うにおいで代わりにはならないのかしら? 

わたしはきっと、ユーちゃんの気持ちを少しも考えていずに、ただ「ウンチは汚くて臭いもの」という自分の気持ちだけをそのときに押しつけていたのだと思います。

でも、一緒にいて、ウンチのことやおしっこのことを感じられるのはうれしいことですよね。あ、このごろウンチ出ていないけど、どうしたのかなあ…とか、おしっこの匂いがちがうみたいだけど、体調が悪いのかなあ…とか、ユーちゃんのことがもっと気になって、お尻をのぞいてしまうなんて失礼かもしれないのだけど、のぞいて、「あ、もうウンチそこまで来てる」って、ウサギのウンチみたいな ころころウンチをそっと手でマッサージしてほじくってみたり、すごく大きなウンチが出てきたら、なんて大きくてりっぱなんだろう!って、自分一人で見てるのはもったいなくなって、同僚を大声で呼んで、「ねえ、すごくりっぱなウンチが出たのよ。すごいでしょう!」 なんて誇らしげに言ったりして、気がついたらユーちゃんのことが好きで好きでいられなくなっている自分に気がつくことができるのは、ウンチやおしっこのおかげだったのかもしれません。

あるとき、ユーちゃんがウンチを出せない日が続きました。ウンチがおなかにたまって、どんどんおなかがふくれていきました。ユーちゃんは、ウンチをしたくてたまらないみたいなのです。でも、一度ウンチをしたときにお尻が痛くなって、それがユーちゃんの心の中に、とても怖いものとして残ってしまったのだと思うのです。それでユーちゃんは、ウンチができなくなってしまったみたいでした。

朝、施設で下剤の処置をしていただいていても、ユーちゃんはウンチをすることができませんでした。したくなっているのを、怖いという気持ちが無理に押さえてるのです。ずっと声をあげて、哀しそうに泣いていました。もう叫び声に近いような声で泣いていました。すわっていることもできずに、ごろごろ床の上で動いて、なんとかウンチをせずにいようとしているようでした。「大丈夫よ、怖くないのよ」とそばにいて、おなかをさすったり、頭をなでたりしても、ユーちゃんは苦しむばかりでした。もう、体をさわられることすら痛みにつながるようなのでした。

わたしはユーちゃんの苦しむ姿を見ていて、ユーちゃんがウンチを今しないでいる理由が、ウンチをしたときの痛みだけではない気がしていました。いつもそばにいるわたしの「ウンチは汚くて臭いもの」だという思いがユーちゃんに知らず知らずに伝わってしまって、ユーちゃんがウンチをするとわたしが悲しむんじゃないかと思ったからではないかと思いました。ユーちゃんを苦しめているのはわたし自身なのだと感じました。

ユーちゃんも不安でたまらないのでしょう。なんとか苦しみからのがれたくて、自分の顔を左手で打ちつけていました。左のほおは紫色にはれてしまって、目が見えなくなってしまうのじゃないかと思うほどでした。そして、そのユーちゃんの苦しみは三日も続いたのです。「もう学校中の壁にウンチを塗ってもいいから、どんなにウンチをさわっていてもいいから、どうかお願いだからウンチさん、出てください」と、いったい何度願ったことでしょうか。

少しでも気を抜くとウンチが出てしまう、とユーちゃんは思ったのでしょうか? 夜も眠ることができずにいるユーちゃんのそばにいることが自分でもつらくてつらくてしょうがなくて、ただユーちゃんを抱きしめていた四日目、「おお~お」という不安げな哀しい叫びとともに、ウンチは出てくれました。まるで爆発のように吹き出すたくさんのウンチを、こんなにいとおしく、うれしく思ったのは初めてでした。ウンチはお部屋いっぱいに流れ出すのではないかと思うくらい、いつまでもいつまでも流れていました。
 
いつも出ることが当たり前のように思っていたウンチ。汚い、臭いと思っていたウンチは、本当はこんなにありがたく、うれしいものだったのですね。ウンチをしたあと、疲れ切って、でも、とても優しい安心した笑顔で、わたしの腕の中で眠っているユーちゃんを見ていて、わたしは自分の中で、ウンチへの思いが少しずつ変わってきているように思いました。ウンチはやっぱり臭いけど、洗えばとれる。出てくれることがすごくうれしいのだ、と思えるようになったのです。

けれど、こんなふうに言えるのは、学校にユーちゃんと二人でいつでも入れるシャワーと湯船があるからだと思います。そして、ユーちゃんと二人、ゆっくりと過ごすことをゆるしてくれる同僚や子供たちの温かい気持ちとゆとりがあった上でのことだと思います。もしたくさんの子供たちと自分が同時に向かい合わなければならない状態であったなら、お風呂なんかにのんきに入っているゆとりなどなかったなら、そんなことは思いもよらないことだったかもしれません。

ユーちゃんがウンチを壁にぬったり髪につけたりする理由は、今もわからないままですが、わたしはそのウンチのことがあって以来、ウンチを塗ることも髪につけることも、ユーちゃんが生きるという上でとても意味のあることなのだと思うようになりました。気持ちをおちつけるためであったり、自分を確かめるためであったり、きっととても大切なことなのだと思いました。けっして自分の気持ちだけで、「これはいけないことだ」と決めつけることはやめよう、と思ったのでした。

  ◇ このお話は こちら に掲載されています。
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山元加津子さんのお話 (3)

  ◇ このお話を山元さんの声で聴ける音声ブログ 前編 後編
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ヤクザさん

わたし、ほんとにすぐ迷子になるので、あんまり一人で電車に乗るとかないんですけど、あるとき、東京の山の手線に一人で乗ったんです。電車が来て、ドアが開いたら、何か様子が変だったんですね。黒い洋服を着て、黒いシャツを着て、黒い靴をはいた、髪の短い男の人が、学生さんを殴っていたんです。

そのときちょうど、ミカちゃんという女の子といっしょにいたんです。ミカちゃんは、とってもつらいことがあると、ほんとに心がとてもとてもつらくてたまらなくなると、よその人の髪をギュウっと引っ張ってしまったり、殴ってしまったりしちゃうんです。ピアノなんかもドーンと倒してしまうのです。ほんとにすごく細い女の子なんだけど、そういうときはすごく怒っているから、すごい力が出ちゃうんです。自分の顔もバンバン殴って、顔を紫色にしちゃったりするんです。でも、ぎゅっと抱きしめて 「だいじょうぶだよ、怖くないよ」 って言うと、だんだん落ちついていく、そんなミカちゃんとちょうどいたんです。

そのミカちゃんと、黒い服を着た男の方が、ちょうどわたしの中でかぶさったのかなぁって、そのときはあんまりよくわからなかったけど、あとで思うんです。扉が開いたときに殴っていたので、その男の人をぎゅっと抱きしめて、「だいじょうぶ、怖くないよ。怖くないから、だいじょうぶです」 って言ったんです。

そしたらビックリしたことに、その黒い服の男の人の目から、涙がポロポロと流れたのです。その方はヤクザさんだったんですけど、つらいことがいっぱいあるんだろうと思ったんです。「どうしてそんなことをするの?」 とおっしゃったので、「とってもつらそうだったから」 って言ったら、またワーって泣かれたんです。

その方が「今からどこ行くの?」 とおっしゃったので、「講演会に行きます」 って言ったら、「誰の?」 って言われたので、「わたしの」 って言ったら、「おじさんに嘘をついてはダメだよ」 っておっしゃったんです。「嘘だろ」 って言うんです。たぶんこんなわたしなんかじゃ、わたしの話なんか聞いてくださる方は誰もいないだろうと思われても当然なんだけど、でも嘘ついてると思われるのも悲しいから、どうしたらいいかなぁと思って、ちょうどわたし、そのときに、『たんぽぽの中間たち』 という黄色い本を持っていて、それにわたしの顔が載ってたと思って、「これわたし、これわたし」 って言ったんです。そしたら、そのヤクザさんが 「ああ、ほんとだ!」 と思ってくださって、「僕も今から講演会について行ってお話を聞きたいけど、僕が行くと迷惑をかけるから行かないよ」 と言って、お友だちになって、それからずうっと文通してるんです。

その方と別れるときに、その方が、「僕は今、どうしてもあなたに言っておきたいことがある」 とおっしゃって、「何ですか?」 と言ったら、「またこんな場面になったときに、今日みたいなことをしちゃダメだよ」 って言って、「僕みたいに優しいヤクザばっかりとは限らないからね」 って、そう言われたんです。その方は、「僕は絶対に電車なんか乗らないんだ。でも、なぜかその日は乗った」 とおっしゃっていました。

それで、『たんぽぽの仲間たち』 の本をすごくいっぱい買ってくださったんです。その方は組の偉い人で、組長さんか何かで、朝の会で 『たんぽぽの仲間たち』 の本を使ってくださって、「毎日たんぽぽの話をしてるよ」 とおっしゃってくださったんです。

その方と文通しはじめた頃は平仮名が多いお手紙だったんですけど、ある日突然ワープロのお手紙を送られてきたら、急に漢字ばっかりになってて、すごくビックリしたんです。その方のお手紙を読みます。

前略、ごめんください。お元気でいらっしゃいますか?
かっこさんは、ビックリしてると思います。パソコンをあれからしばらくは箱のふたを開けたり閉めたりしていただけでしたが、いつまで経ってもこれでは拉致があかないと思い、奮起して、先ず文字を打つことからしています。これでも四苦八苦ですが、かっこさんのビックリした顔を頭で考えながら、手紙から始めています。いつになったらインターネットができるのかわかりません。(加津子注……わたしが 『たんぽぽの仲間たち』 というHPを持っているので、それを毎日のぞこうと思ってパソコンを買ったそうです。)

若い者にもパソコンができる者がいるので、聞くことができれば良いのですが、僕はつまらない人間で、情けなくなるのですが、自分から「教えて欲しい」という言葉はなかなか使えません。かっこさんはどう思うか、でも他の人は極道がパソコンをするとは思わないと思うのですが、若い者の中には機械が好きな者もいます。だから「教えて欲しい」と頼めばどんなに喜んでくれるかわかっているのだが、自分はいつも 「人様には教えてもらうことばかりだ」 と若い者に言っていながら、けちな心や人に教えてもらうことが恥ずかしいという心が邪魔をして、それができないのです。偉そうにしながら、人間が小さいという証拠です。

人間が小さいと言えば、送らせていただいた人形は、恥ずかしながら僕が行って買ったものです。(加津子注……バレンタインデーにキティちゃんの大きな人形を送ってくださったんです。)僕は若い者に頼むこともできたのでしょうが、それも恥ずかしく、自分で行って、店の前で入ろうと思って止めて、入ろうと思ってまた止めて、それでも、かっこさんが喜ぶ顔が見たくて店に入ったのです。思えばキティちゃんが何かということすら知らなかった僕が、店でキティちゃんのものを買おうとしてるのだから、変わったものです。店の人も、僕が入って行ったものだからビックリしていたようでした。自分に合わないというか、かっこちゃんたちのような女性がたくさんいたので、それでもう出てしまいたかったです。「何でも良いから包んでくれないですか?」と店の者に言ったら、「たとえば、どんなものですか?」と言うので、「取りあえず、それを」と、人形を買いました。もっと違った物が良かったかな?

しかし僕は、前から思っていることがあります。(加津子注……ここから書いてくださっている文は、とってもわたしにとっては気恥ずかしいのですが、書いてあるので読みます。) かっこさんに会うと、誰でも会う前と変わってしまう。まだまだ若い者に習うということができないでいるが、そのことが恥ずかしいとは思わないでいたし、パソコンはやるし、おもちゃ屋は入るし、そんなことは今まで考えもしなかったし、誰が見ても信じられないことでしょう。しかし、まわりのみんなも「変わった変わった」と言います。『たんぽぽ』 を話してやると、若い者も変わって行きます。おそらくかっこさんは、今もまわりを変えているのでしょう。でもかっこさんは、「そんなことはないのだ」 といつも言いますね。

クリスマスには何も贈れなかったが、その人形で我慢してやってください。風邪をひかないでください。手紙というものは、自分で書いてもつらいが、パソコンで書いてもまだこんなに大変なものです。


すごく変わったなー、と自分で思うんです。最初はやっぱり、ヤクザさんて悪い人だと思ったり、怖い人ばっかりとか、人を殺しちゃうのかなーとか、そんなひどいことばっかり思っていました。でもその方は、とっても優しい方で、ボランティア活動にもみんなで出かけているんです。ゴミ拾いとかもしてるとおっしゃっていました。

それから、「かっこさんはどう思うか知らないけど、僕たちの世界には、他の世界で今ある社会で、たとえば生まれとか、国とか、育ちとか、いろんなことで分けられて、つらい思いして入って来ている若いやつがいっぱいいるんだよ。この世界では誰も平等で、誰も差別しないから、ここに帰って来るんだよ。そういう苦しい気持ちもわかってやって欲しい。人は、やくざを極道の者を責めるけど、そういうところに追い込んでいるのは、社会の人たちなんだよ」 って教えてくれました。

そんなことも、わたしは全然その方にお会いするまで気がつけなくって、その方とお会いして気がついたときに、ほんとに人間てすてきだなーってことも思ったんです。今日わたしは自分でも、自分が生まれたのはなぜだろうと考えたいなーと思うんだけど、そんな風に人と人が交わると、人って色々変わってくるし、気がつけるし、そんなことをやっぱし思うんです。小さい小さいことでも、そうじゃないかなーと気がついて行って、それが累積していくなーってことを思うんです。

文通してたんです。「かっこちゃんは、人を殴るのは嫌いか?」 ってヤクザさんがおっしゃったんです。わたしは「好きじゃない。やっぱりとっても怖いですから、人を殴るのは好きじゃない」 って、「言いたいことがあれば伝えればいい。でも殴るのは好きじゃない」 って言ったら、「だったら僕も、絶対に殴らないよ」 ってヤクザさんが約束してくれたんです。

でもある日、「僕はかっこちゃんとの約束を破ってしまったよ」 って葉書きをもらったんです。どういうことかというと、ちょっと細い道を大きな車で移動していたら、車椅子のおばあさんが、溝にはまっていたんです。車が通れなくなっていたので、若い人に、「あのおばあちゃんを助けてあげなさい」と言ったら、若い人が降りて行って、「そこをどけ」って言って、そのおばあちゃんを殴ってしまったんです。そのわたしのお友だちのヤクザさんが、その若い人に、「おまえのために毎日たんぽぽを読んでやってるんだ!」って言って、「助けてあげてお送りしなさい」って、そう僕は言いたかったけど、そのときに若い人を殴ってしまった、っておっしゃっていました。

「僕は虫にも気持ちがあることを知りました」って、その同じメールに書いてあったんです。今まで虫とかそういうものが、たとえば誰かを好きになったり、そんなことをするなんて思わなかった。それから気持ちがあるなんて思ったこともなかったのに、たとえばカエルがじーっと窓に止まって虫を食べようとして、そのチャンスをうかがっている。そういうものも、こう目に止めて、じっと見るようになったとか、そんなことも書いてくださいました。

  ◇ このお話を山元さんの声で聴ける音声ブログ 前編 後編
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山元加津子さんのお話 (4)

  ◇ このお話は こちら に掲載されています。
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油ねんど事件

保育園や小学校の低学年のときによく使って遊んだ油ねんどを見ると、心がちょっぴりうずきます。油ねんどに特別な思い出があるのです。その思い出は、今となっては嫌なものではなくて、むしろ、心があたたかくなるような、そんな思い出なのです。

わたしは正式に教員として採用していただく前に、一年、講師として小学校や高校で勤務させていただいたことがあります。最初は一学年に三クラスも四クラスもあるようなマンモス校、そのあとは僻地校で (いただいたお給料の説明で「僻地手当てが含まれる」ということで僻地校なんだって思ったのです)、一、二学年の統合クラス、それから母校である高校へも行きました。

そのどこでも、たくさんの思い出があるのですが、油粘土事件は、最初のマンモス校でおきました。

このあいだまで大学生だったわたしは、すごくドキドキして教室に入っていったのですが、クラスには可愛い一年生がたくさんわたしを待っていてくれました。一年生になったばかりで担任の先生が病気で入院ということで、お家の方はどれほど心配に思っておられただろうと思うのですが、子供たちは不安そうなようすは少しも見せずに、すぐにわたしのまわりに集まってきてくれて、「先生、こわい人? たたく?」、「先生、何歳や?」、「先生、先生、わたしね、猫飼っとるんやよ」と仲良しになることができたのでした。

 わたしは毎日、可愛くてそれから生き生きしてて、きらきらしてる一年生といて、すごく楽しかったけれど、でも新米教師のわたしには、「どうしたらいいんだろう」ということがしょっちゅう起きました。


(1) 忘れ物

ある日、朝、教室へ行くと、だあれもいないのです。たった一人だっていないのです。びっくりして学校中を探してもいないから、途方にくれて外へ飛び出したら、玄関の脇のところにみんな一固まりになってるのです。

輪の中をのぞきこんだらね、マユちゃんって女の子が泣いてるの。そばでケイコちゃんが、「マユちゃん、国語の本を忘れたから教室に入らないんだって」って。それから、「ぼくだって昨日も今日もずうっと持ってきてないからだいじょうぶだよ、って教えてあげてたんだよ」、「見せてあげる、って言ってたの」って、みんな口々にわたしに言いました。みんなが見つかってほっとして、それからクラス一人一人のことをみんながこんなに心配して今ここにいるんだっていうことがすごくうれしくて、じんわり涙がこみあげてきました。

「わたしも今日、筆箱忘れたんだよ。だから、前に座ってるお友だちに借りるんだ」って、わたしがマユちゃんにお話したら、マユちゃんはびっくりしたみたいにわたしを見て、「先生も忘れ物? ええっ、おんなじ!」ってうれしそうに顔をあげてにっこり笑いました。

その日、ヒデ君という男の子の日記に、「ぼくのせんせいは、わすれんぼで、なきむしです。でも、みんなは、おこりませんでした」って書いてありました。


(2) プリン

給食にね、プッチン・プリンが出たのです。ケンタ君が、「ぼく、プッチンってしよう!」って立ち上がって、コマーシャルみたいに、高いところからお皿めがけてプッチンってしたら、大成功で、お皿の上にプッチンときれいにのったのです。「着地成功!」ってケンタ君はすごくうれしそうでした。

わたしも思わず「すっごーい!」って拍手しちゃったからかもしれないのですけど、「ぼくもする!」って二番目に立ってプッチンしたイサム君がね、やっぱり立ち上がってお皿の上にプッチンってしたら――あーあ、床にプリンがくちゃくちゃになっちゃって落っこちてしまったのです。「うわあーん、ぼくのプリン!」って大きな声で泣きだしちゃったので、わたしがあんなに拍手したせいかなって思って、あわてて、「わたしのプリン食べてね」ってプリンあげたのです。

でも、「そしたら先生のプリン、なくなっちゃうじゃない」ってみんなが心配してくれたのです。「それでもいいのよ」って言ったら、「先生、プリン嫌いなの?」って、とても心配そうに聞いてくれました。「好きだけど、今日はいいんだ」って言ったらね、「がまんしてるんだ、先生かわいそうだよ。イサム君が失敗したから、イサム君ががまんした方がいい」と今度はほかの女の子が言いました。だけどイサム君は半べそで、「ぼく、プリン食べたいもん」って。
・・・そうだよね。

そしたら、さっきの女の子がね、「じゃあ、わたしの、一口、先生にあげるよ」って、わたしのお皿の上にプリンをスプーンで一匙すくってのせてくれました。そしたら、みんなやさしいよね、「わたしも!」、「ぼくも!」って、それからプリン落としたイサム君まで、「ぼくも!」って、プリンのせてくれて、わたしのお皿の上は、見た目はちょっと悪くてぐちゃぐちゃだけど、でも、やさしさがいっぱいつまったプリンの山ができたのでした。

ところがね、またマユちゃんが、「あーん」って泣いているのです。今度はどうしたんだろうって思ったら、「わたしも一口あげたかったのに、全部食べちゃったあ。あげられない」って。―― そんなやさしい子供たちのクラスでした。


(3) 油ねんど

その学校は、まだ新しくて、とてもきれいな学校でした。職員朝礼で教頭先生が、「きれいな学校ですねと、お客さんが誉めてくれました。このきれいさをずっと保つために、壁には決められたところ以外、押しピンは押さない、セロテープも貼らないということなどを守ってください」と、そんなお話をなさった、その日のことでした。

 その日は、図工で油粘土遊びをしました。大きな恐竜や蛇をつくる男の子、こまかなぶどうやクッキーを楽しそうにつくる女の子、油粘土は乾いてひびが入るわけでもないし、とても使いやすくて、みんな大喜びでした。 

わたしは、いつもはお昼休みもみんなと一緒に遊んでいるのに (子供たちとおんなじで、わたしも休み時間が大好きなのです)、その日に限って職員室に用事があってみんなと一緒にいられず、きょうは雨が降ってるから、みんなは教室か体育館で遊んでいるかなあ・・・って思っていたのです。

そしたら、いつも元気なケンタ君が、職員室へわたしを呼びにきてくれました。「今、すっごくおもしろいこと、みんなでやってるんだ! 先生もやろう! ぼくなんか、もう、10個も成功したんだよ。はやくはやく!」って、とってもうれしそうな顔でした。ちょうど仕事も一段落ついていたので、わたしもうれしくなって、「どこ?」ってケンタ君の後をついて行ったのです。

職員室は一階で、教室は二階にありました。そこには、わたしにとって、とてもショックなできごとが待っていたのです。

階段の途中の踊り場のところに、子供たちはいました。下には、たくさん油粘土の固まりがころがっています。ところどころ踏まれて、床にシミができていて、あらーって思ったけど、それから何気なく踊り場の高い天井を見て驚きました。そこにはもっとたくさんの粘土の玉が投げつけられて、天井にくっついたり、それが落ちて、油ジミになったりしていたのです。それは、目をおおいたくなるくらい汚い感じのよごれようでした。

「先生もやってごらん。粘土あげるから。力を入れて、えいって投げてごらん」
子供たちはおそらく、わたしが来たことでもっと活気づいて、わいわい粘土投げをしていたのだけど、わたしがもう、あの天井どうしたらいいんだろう・・・っていう困った顔で立っているのを見て、なんだか変だぞって思ったようでした。

「先生、どうしたの?」
そうきかれて、わたしはなんて答えたらよかったのでしょうか。
「あのね、学校の壁とか汚さないようにしましょうって、先生の朝のお集まりのときにお話があった」
やっとのことでそう言うと、子供たちはしーんと静まりかえってしまいました。

「ねえ、天井も汚しちゃいけないって言った? 天井は、廊下や教室じゃないから、いいよね?」ケイコちゃんが聞きました。
「言ってないけど、たぶんだめだと思う」

どうしようばかり思って、また少し泣きそうにため息をつくと、「すぐばれないように掃除をしよう」ってケンタ君がほうきを持ってきてくれたけど、踊り場の天井って、本当にすごく高いのです。とても届かなくて、机を運んで、椅子にのって、それから長いT字型のほうきをもってきて、やっとやっと届いたのです。

でもね、油粘土はなんとか下に落ちても、天井にはたくさんの丸い油ジミが、まるで全体の模様のように残ってしまいました。

「先生、叱られる?」
「大丈夫、みんなは叱られないと思うな。わたし、ちゃんとあやまってくるから心配しないでね」ってそう言ったわたしに、
「でも、先生は一回も投げてないよ。ぼくたち、いっぱい投げたけど」
「そうだよ。先生は悪くないよ。あやまらなくていいよ」
って、みんなはわたしの心配ばかりしてくれました。

わたしも子供たちをこれ以上つらい気持ちにさせたくないなって思ったので、「さ、お帰りの準備しててね。もう少しここ片付けて教室に行くね」

そして床を拭きながら、わたしは子供たちが大好きだし、子供たちと一緒にいたいけど、やっぱりわたしみたいなオッチョコチョイで泣き虫は、先生になんてなれないんじゃないかな…、今日みたいに子供たちに心配かけたり、悲しい気持ちにさせてしまうし、それに昨日だって…って、すごく落ち込みながらいろいろ考えました。

そうなのです。その前の日にも、たいへんなことがあったのです。
その日はアブラナの観察で、子供たちが初めてピンセットを使ったのです。ピンセットは先が尖ってるから、とても気を使います。「お約束よ。ピンセットの先をお友だちの方へ向けないでね。目にでも刺さると大変でしょう?」と、考えただけでも恐くなるような注意事項をして、それからアブラナの花びらを一枚ずつはずしていたのです。

そのとき、「ギャアー!」というすさまじい悲鳴がしました。いったい何事が起こったのだろうと、いそいで子供たちを見わたすと、頭を抱えるようにして座りこんでいる子がいます。ヒロちゃんです。そばに行って体を見るけれど、どこも血が出ているわけでもないし、でもヒロちゃんはワアワア泣いています。「どうしたの?」とたずねると、「ピンセットが…」って言うのです。ただ抱きしめて頭をなでて、落ち着くのを待って、もう一度たずねたら、ようやく返ってきた答えはなんと、「ピンセットの2つの先を、コンセントの穴に1つずつ突っ込んだら、ビリビリになった」でした。

なんてことでしょう。感電したのです。「どうしてそんなことしちゃったの?」というわたしの問いに、「だって、ちょうど2つ穴があいていたから」とヒロちゃんは答えました。きっとなんにも考えず、穴が2つあって、ピンセットの先っぽが2つあったから、なにげなく入れちゃったのですね。ヒロちゃんにたいしたことがなくてよかった。それで昨日、ヒロちゃんのおうちへ「本当にすみませんでした」って電話をしたところだったのです。

帰りの会のとき、ヨウジ君が、「先生、『コンセントに突っ込んだらいけません』っていうのも注意しとけばよかったね」って言ってたけど、本当だ、そこまで全然考えられなかったけど、考えられてお約束に入れられたら、ヒロちゃんもそんな失敗なかったのにね。

とにかくそういう事件が起きたところだったのです。わたしみたいな、大事なところがおろそかになってしまったり、なぜかいろんなことがしょっちゅう起きちゃう人は、教員にはなれないのかもしれない。教員というものは、ある意味で子供の命をあずかっているのだから…。

大きなため息を一つついて教室に入ると、子供たちはみんな待っていてくれて、「先生、元気出せぇ!」とか、「だいじょうぶ、だいじょうぶ、ぼくたちがついてるって」とか言ってくれました。

子供たちとさよならした後、重い足をひきずりながら、校長室へ行きました。こんな時どこへ行ったらいいのか、わたしにはわかっていませんでした。きっと校長先生のとこかな?って、そのときにわたしは思ったのです。

校長室の扉をノックして入って行ったら、校長先生は、「待っていたよ」っておっしゃいました。どうして「待っていたよ」なんておっしゃるのでしょう? もう天井のことが知れていたのでしょうか? それとも感電事件のことでしょうか? そうじゃなかったら、いつも散歩ばかし行ってるのが、散歩に行きすぎということで叱られちゃうのでしょうか? それじゃなかったら、教室がしじゅう元気がよすぎて、うるさすぎるのでしょうか?思い当ることは、たくさんありました。

 校長先生は、いつもと少しも変わらない おだやかな声で、「まあ、かけなさい」とおっしゃいました。そしてね、「今日は 君のおかげで、すごくうれしい気持ちなんだよ」っておっしゃるのです。わたしは叱られることはいっぱいあっても、ほめられることなんて、ただの一つもないはずなのです。だからすごく不安でビクビクしていたのです。

校長先生は、愉快でたまらないというふうに話しだされました。

「さっき、君のクラスの生徒たち、一年生が、全員ここへ来たよ。いろいろ口々に言うんだ、『先生を叱らないでね』、『先生は一回もしてないんだよ』とかね。『だって、すっごくおもしろかったから』とか、何のことだか、さっぱりわからなかったんだ。

『最初きみたちは何をしたの?』、『先生はなんて言ったの?』という一問一答形式で、ようやくわかったんだ。みんなで粘土で天井をぐちゃぐちゃにしてしまったけれど、でも先生のせいじゃないし、ぼくたちがやったんだから、叱るならぼくたちを叱ってほしい ――どうやらそういうことらしい。

ケンタ君っているだろ。あの子がね、『校長先生が先生を叱ったら、ぼくらは校長先生のこと、ただじゃおかないぞ。一発おみまいしてやるから』って言うんだ。
それから、そうそうマユちゃんっていったかな、ひとり泣いてる子がいるから、どうしたって聞いたら、小さな声で、『先生は泣き虫だから、叱っちゃだめ。また泣いちゃうよ』って、これまた泣きながら言うんだ。

いいねえ、校長室にあんなに一度に子供たちが話に来たのは初めてだよ。うれしいよね。みんな本当に一所懸命でね。

ね、君、絶対にがんばって、本当の先生になりなさい。キャリアのある教師は、技術だっていろいろ持ってる。けれどね、若い先生の熱心な心や、子供が好きだという気持ちはね。それとは全然別のものなんだよ。わかるかい? 君は大丈夫だよ。君は子供たちにすばらしいプレゼントをもらったし、また、君も子供たちにすばらしいプレゼントをしたじゃないか」

わたしが掃除をしているあいだに、いつかマユちゃんを玄関にまで迎えに行って励ましていた時のように、子供たちはわたしのために、またみんなで校長室に、「叱らないで」と話しに行ってくれたんだ…、そして校長先生はそのことをこんなに喜んでくださってる…、わたしは泣き虫で、ダメ先生だけど、校長先生は、それでもだいじょうぶだよって言ってくださってるんだ…と、ただうれしくて、やっぱり泣いてしまったわたしでした。

「ところで、あの天井の汚れ具合はすごいね。子供たちが言ってるほどじゃないだろうと思ったんだけど…」と、それから校長先生はおっしゃいました。

校長先生は、「道端孫三ェ門」というりっぱな名前の先生でした。ずうっと後でわかったのですけど、その方は金沢の歴史や物語にくわしいことや、子供たちの教育に関しても、とてもすばらしい考えをお持ちで、本をいくつも出しておられる、金沢で有名な先生だったのです。

わたしは本はそれまで読んでいなかったけれど、校長先生があのときあんなふうに言ってくださったおかげで教員に絶対になりたいと思えたのかもしれないし、有名な方であろうとなかろうと、わたしにとって、なくてはならない方だったのだ…と今しみじみ思います。

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