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2005年8月23日 (火)

心とは何か? … 唯識論(7)

(注: 以下の記事は、笹本戒浄著 「真実の自己」を抜粋、要約したものです。)

第8話  知る主、わかる主

森羅万象は、そのときそのときのあなたの心だったのだということは前に話した。心とは、「自分を中心にして、あるいは内に、あるいは外に、あるいは近く、あるいは遠く、あちらこちらに分かれ連なって現れるもの」である。頭の中ばかりにあるのではない。

では、その心のどの部分が「知る主、わかる主」としてのあなたなのだろうか?

私たちは「手がしびれて感覚がなくなる」と言う。その感覚とはどういうものかを確かめてみよう。
まず、熱いお茶の入った湯のみに手をぴたりと当てた感覚を思い出してみていただきたい。

つぎに、実際に熱いお茶を湯のみに入れて、手をぴたりと当ててみていただきたい。

想像や記憶による感覚と、実際にさわっているときの感覚と、どう違っていただろうか? 何度も手をくっつけたり離したりして、その違いをよく味わってみていただきたい。「そんなこと、やらなくてもわかっている」とおっしゃる方は、きっとわからない方である。

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(ゆうこ補足): この感覚の違いはこの講話の一番のポイントなので、どうか読者の方も、今ここで同様の確かめをしてみてください。
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手をぴたりとくっつけているときは、「ぬくとみの感覚」がある。あるいは「ぬくとみのわかり」と言ってもいい。ぐっすり眠りこんでいるときは、「このぬくとみの感覚」「ぬくとみのわかり」はない。

どうかもう一度、ぴたりとくっつけていただきたい。さあ、「ぬくとみのわかり」ができた。まざまざと、ぬくとみがわかっている。単に「ぬくとみ」と言っただけでは言い足りない。「ぬくとみのわかり」と言わねばならない。

この「ぬくとみ」と「わかり」とは、別々のものだろうか? どうか事実をよくつきとめていただきたい。

手をぴたりとくっつけているとき、そこにできているその1つの全体が「ぬくとみ」であり、「ぬくとみのわかり」である。
もし「ぬくとみ」と「わかり」とが別々のものならば、手を触れていないときに「ぬくとみ」だけが残るということも考えられるが、「ぬくとみ」と「わかり」とは、分けることのできない1つのものである。

したがって、手を触れていないとき、つまり、ぬくとみがわかっていないときには、ぬくとみが湯のみの縁にあるという証拠はない。

「何を馬鹿な。ほら、ぬくとみはちゃんとあるじゃありませんか」と言われるかもしれないが、それは触れたからあるのだ。触れていないときは、ぬくとみがあるという証拠はない。

ではつぎに、以前聞いた何かの音(たとえば電車の音)を思い出していただきたい。

そして、いま現実に聞こえている何かの音(聞こえていなければ自分で「オー」と声を出す)と比較してみていただきたい。思い出した音と、現実に聞こえている音と、どう違うだろうか? 

どうか、よく確かめていただきたい。聞こえている音と聞こえていない音を混同するようでは、正しい見方とは言えない。

聞こえている「音」は、「わかり」である。
「これは○○の音だ」というのは、識別であって、「わかり」ではない。
湯のみに手を触れているときの「ぬくとみ」は、「わかり」である。
「この湯のみは温かい」というのは、判断であって、「わかり」ではない。

見えている「物」は、「わかり」である。
持ち上げている物の「重み」は、「わかり」である。
食べている物の「味」は、「わかり」である。

われわれは生まれてから今までに、様々なものを見たり、聞いたり、触ったり、味わったり、嗅いだりしてきた。それは、ただの色、声、香、味、触ではなかった。
色、声、香、味、触の「わかり」であったのだ。一切は「わかり」である。

禅宗で尊んでいる経典の中の『首楞厳経』に、「見も見縁も現前の境に似たれども、元より我が覚明なり」とある。
これは、「こちらに見る主があり、向こうに見られる物質があるように思えるが(つまり、認識の主と客とがあるように思えるが)それは錯覚だぞ、一切は自分のわかりだぞ」という意味である。

この「わかり」が、見る主、聞く主、知る主としての自己である。
肉体が滅びても滅びず、いつも変わることのない、在り通しの自己である。

(・・・心とは何か(8) に続く )


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