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2005年7月 1日 (金)

心とは何か? … 唯識論(2)

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笹本戒浄上人 1874(明治7)-1937(昭和12)
東京帝大卒、心理学専攻。浄土宗光明会総監。

▼ 以下の文章は、笹本戒浄著『真実の自己』を抜粋・要約したものです。

Dokusho ------------------------------------------------------------------------
第1話  心は脳の機能にすぎないか?

今の世には、「宇宙間にあるすべてのものの根元は物質である。心は、脳という物質の機能にすぎない」と考えている人が多い。そこでまず、この唯物論が正しいか間違っているかについて考えてみたい。

神経系統は、肉体の一部であり、物質である。中でも大脳皮質は、心と密接な関係をもっている。

たとえば事故に遭って、大脳皮質の視覚中枢が一定量破壊されると、目が見えなくなるだけでなく、今まで目によって得られた一切の記憶も失ってしまう。父母の顔がどんなだったかということも、紫の色とはどんなものだったかということも、思い出せなくなる。

聴覚中枢が一定量破壊されると、耳が聞こえなくなるだけでなく、それまで耳によって得られた一切の記憶知識も失ってしまう。お母さんの話し声がどんなだったかということも、うぐいすの鳴き声がどんなだったかということも、思い出せなくなる。

同様にして、大脳皮質のべつの部位が破壊されると、重さ、固さ、スベスベザラザラを感じる心、暖かさ、冷たさを感じる心などが起こらなくなる。

このことから、心は大脳皮質の作用だという考えが導き出される。体が死ねば、大脳皮質が無くなるので、心も無くなる。輪廻転生などというものは、脳と精神との関係がわからなかった時代のおとぎ話だ。

……以上のような考えが正しいか間違っているか、事実と首っ引きで一つ一つ検証してみよう。

 

Dokusho -----------------------------------------------------------------------
第2話  知る主(ぬし)はだれ?

学者の調べたところによると、精神と最も密接な関係にある大脳皮質は、50億の神経細胞から成り立っているということだ。そして、それぞれの個体がそれぞれ特有の働きをしている。視覚中枢は見るために働き、聴覚中枢は聞くために働く。物質の方から言うと、見る主(ぬし)は視覚中枢、聞く主は聴覚中枢ということになり、見る主、聞く主、嗅ぐ主、味わう主、スベスベザラザラを感じる主は、みな別々ということになる。

だが、心理上の事実はどうか? お母さんの顔を知っている同じ自分が、お母さんの声も知っている。食べ物の味を知っている同じ自分が、その匂いも知っている。心の事実では、見る主そのものが聞く主であり、嗅ぐ主であり、味わう主である。

われわれは無数の記憶知識をもっている。幼い頃の個人的なできごと、まわりの情景、人々の思い出、義経と弁慶のこと、学校で習った植物学や天文学、社会生活で身につけた知識……。そして、その記憶知識の対象はそれぞれ別々である。弁慶はオシベ、メシベではないし、牡丹の花は桜の花ではない。

けれども、この種々別々のことを知っている主は、一人である。義経、弁慶のことを知っている同じ私がオシベ、メシベのことも知っている。水星、火星のことも知っている。お母さんの顔も知っている。

ものごとを知覚する器官は別々。知覚の対象や内容も種々別々。記憶知識の対象や内容も種々別々。けれども、その知覚内容や記憶知識を自分のものとして統一している主体はただ一つ。一生涯を通して同一である。

この「知る主、わかる主」を、弁栄上人は「統一的主体」と名づけられた。よい言葉だ。われわれは、単なる細胞の寄せ集めではない。種々様々なことを知る主、わかる主であり、種々別々の記憶知識を自分のものとして統一している主体である。

では、その「統一的主体」は、どこにあるのだろうか? 頭の中だろうか?

 

Dokusho ------------------------------------------------------------------------
第3話  体の全細胞は7年間で入れ替わる

血液は、一番長い道を通ると、体を一循環するのに56秒、一番短い道を通ると約22秒しか かからない。心臓から出た血液は、行く先々で体の老廃物を取り入れ、新鮮な栄養分を与え、心臓までもどり、肺に送られて、一呼吸ごとに空気中の酸素を取り入れて新たになる。こうして体は絶え間なく新陳代謝、物質代謝をつづけている。

この新陳代謝というのは、一つの物質が変化するのではない。別の物質と入れ替わるのである。ちょうど川の流れのようなもので、一点を見ていると同じ水を見ているように思われるが、実際はその瞬間ごとに別の水を見ているのだ。

ある米国の生理学者の説によると、このように徐々に新陳代謝、物質代謝して、今この瞬間にこの体を構成している物質は、およそ7年もたてば、すべて入れ替わってしまうということだ。つまり、7年前のあなたと今のあなたは、物質ということで言えば、完全に別物だということになる。ということは、大脳皮質も、7年前にあったものと今あるものは、全く別々のものだということだ。

ところが「知る主、わかる主」としてのあなたはどうか? 「今、見たり聞いたり感じたりしているのは自分だが、7年前に見たり聞いたり感じたりしていたのは自分ではない」と言われるだろうか? 7年前のあなたと今のあなたは、物質としては別々のもの。それなのに、知る主としてのあなたは同一人物。7年前のあなたの大脳皮質や体は、今は無い。だが、知る主としてのあなたは無くなっていない。

したがって、統一的主体は大脳皮質や体の中にあるのではないことがわかる。

(・・・心とは何か(3) に続く )

 

 

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コメント

miamasavinさま

笹本戒浄上人は山崎弁栄上人のお弟子です。
笹本上人の講話『真実の自己』は、①昭和11年版、②唐沢山編、③松戸編の3種類があり、『笹本戒浄上人全集・全3冊』の中巻には3種とも収められています。
「この知る主、わかる主を、弁栄上人は統一的主体と名づけられた」と書いてあるのは昭和11年版です。
◆『笹本戒浄上人全集』/光明会聖堂教学部/昭和56年発行

なお、うぶすな書院から出ている『唐沢山編』は、今も入手できることがわかりました。
http://www.hontsuna.com/pages/shoshi/?isbn=4900470120
◆笹本戒浄著『「真実の自己・唐沢山編』/うぶすな書院/1999年発行/ISBN: 4900470120

投稿: 管理人 | 2006年3月13日 (月) 午後 10時55分

はじめまして^^
「弁栄上人」で検索をかけたら、このサイトに辿り着きました。
山崎弁栄上人のことですよね?
統一的主体、とはどの本に出てくるのでしょうか。
よろしかったら、教えてください^^

投稿: miamasavin | 2006年3月13日 (月) 午後 07時57分

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