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2005年7月20日 (水)

心とは何か? … 唯識論(5)

(注: 以下の記事は、笹本戒浄著 「真実の自己」を抜粋、要約したものです。)

第6話  根は三昧中の心

多くの人々は、たとえば「他人の顔」は物質であり、その物質を、自分の頭の中にある心がとらえ、頭の中に見ているのだと思いこんでいる。だが真実は、「他人の顔」は、あなたの根・境・識が和合してできた、あなたの心である。このことは、三昧中の事実として知ることができる。

三昧には「出世間の三昧(生死を離脱した三昧)」と「世間の三昧」の2種類がある。深い催眠状態になった心は「世間の三昧」である。根・境・識が心だということは、催眠術の実験でもじゅうぶん確かめることができる。

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(ゆうこ補足):
「大辞林 第二版」によると、「三昧」の定義は、「心を一つのものに集中させて、安定した精神状態に入る宗教的な瞑想。また、その境地」となっている。だが笹本上人は、それよりやや広い意味に使っているようだ。「日常意識の働きを抑え、深層意識に集中した心の状態」とでも言えばいいだろうか?
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私(笹本)は東京帝国大学で心理学を学んでいた頃、生理学や精神病学の先生方から、催眠術の実験の話をたびたび聞いた。それで大いに興味を持ち、卒業後2年間は自分でもいろいろ試してみた。その結果、手ぬぐいで目隠しをして文字を読むとか、遠隔地のできごとを見るということも、深い催眠状態にある人には可能だということが確認できた。

催眠術のかけ方は、まず細い鉛筆の先に鏡などをつけて、目の近くで2、3分間じっと見つめさせる。そうすると、目が少しトロンとしてくるので、目をつぶらせて、上から下へなでおろす。頭と首の動脈を押さえて圧迫すると、だんだん脈がかすかになる。指の先に感じないくらいになったら、催眠術にかかっていることがわかる。体を指先で押して倒れそうになっても、もう抵抗しない。眠ったように見えるけれど、「手を上げなさい」と言えば手を上げる。

精神病学の大家、呉秀三先生の博士論文には、次のようなことが書いてある。
ある青年を催眠術にかけて、「君の大脳の左半分は麻痺してしまった」と暗示を与えた。するとその青年の右半身が、大体において(細かいことは別として)運動知覚を失ってしまった。右手を上げようとしても上がらない。右半身をつねっても痛みを感じない。そして、しゃべることもできなくなった。
つぎに青年に、「君の大脳の左半球の麻痺はとけた。こんどは右半球が麻痺してしまった」と暗示を与えた。すると、左半身の運動知覚は大体において失ったが、しゃべることはできるようになった。

これは、大脳の左半球は右半身の運動知覚を支配、右半球は左半身の運動知覚を支配し、言語中枢は大脳の左半球にあるからだ。「このことは予期しない儲けものだった」と呉博士は付け添えている。

深い催眠状態の心は三昧の心である。三昧の心で思ったことは、大脳皮質の事実となってあらわれる。 もし、心と大脳皮質が別々のものならば、「大脳皮質の左半球が麻痺した」と心で思っても、右半身が麻痺するはずがない。したがって、大脳皮質(=根)とは、三昧中の心であると言わねばならない。

根が三昧中の心であることを示す実験例は、ほかにも、催眠術にかかった人の体に普通の鉛筆を押しあてて、「これは焼け火箸だからやけどするぞ」と言ったところ、みるみるうちに充血して本物の火傷ができたという例や、コップに水を入れて「酒だ」と言って飲ませたところ、酒に酔ったのと同じ体の症状があらわれたという例が報告されている。

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(ゆうこ補足):

これを逆に言えば、「自分は火に焼かれることはない」と三昧の心で思えば、燃える炭火の上を素足で歩いても火傷をしないということにもなる。それを実証しているのが、真言密教、修験道、ヒンドゥー教などで古来から行われている「火渡りの行」や、最近欧米でも広まっている「火渡りワークショップ」だと思われる。


2013年10月14日 神崎寺の火渡り


インドの火渡り


米国の人気司会者オプラ・ウィンフリーの火渡り


また、日本や諸外国の臨死体験の報告には、「当人たちは体験時、呼吸も心臓も止まり、瞳孔は開き、脳波も消えていた。その状態で、彼らは病院の内外のありさまや遠隔地の知人の様子などを観察し、その観察内容が現実と一致していたことを回復後に確認できた」という例が多い。
このことからも、「ものごとを知覚、認識する主は、肉体の感覚器官や脳ではない」と言えるのではないだろうか?

(・・・心とは何か(6) に続く


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