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2005年7月12日 (火)

心とは何か? … 唯識論(4)

(注: 以下の文章は、笹本戒浄著 「真実の自己」を抜粋、要約したものです。)

第5話  心が起こる原因

「見える」「聞こえる」のような心はどうして起こるのだろうか? 仏教では五感が起こる原因を「根・境・識」と言う。現代の用語に置き換えると、

根・・・・・・神経系統 (五官)
境・・・・・・刺激
識・・・・・・投象作用 (注意活動)

ものが見えるためには、視覚をつかさどる神経系統(=根)と、光波という刺激(=境)と、そちらに注意を向けること(=識)の3つを要する。1秒間に450兆回~750兆回の振動が目に入り、レンズで屈折して網膜の上に逆さの像を結ぶと、そこに来ている神経線維の末端に変化が起こり、その報告が後頭葉中枢にもたらされる。そうすると注意が呼び起こされて、その注意の向いた先に色、形が見える。

音が聞こえるためには、聴覚をつかさどる神経系統(=根)と、音波という刺激(=境)と、そちらに注意を向けること(=識)の3つを要する。1秒間に8回~5万回の空気の振動が鼓膜に行って耳の骨を伝わり、内耳の中の蝸牛殻の琴線に触れると、そこに来ている神経に変化をきたし、その報告が聴覚中枢にとどく。そうすると注意が呼び起こされて、その注意の向いた先に音という心が起こる。

根・境・識の3つがそろわないと、「見える」「聞こえる」「匂う」「痛む」といった心は起こらない。視覚器官に障害があれば見えないし、聴覚器官に障害があれば聞こえない。神経系統があっても、光波という刺激がなければ見えないし、音波という刺激がなければ聞こえない。神経系統と刺激があっても、注意がよそに向いていると、目の前にある物も見えないし、耳元の音も聞こえない。戦場から命がけで逃げているあいだは指を切り落とされたことにも気づかず、安全地帯に着いた途端、激痛に襲われた、という人もいる。

識とは、注意を向けること、心を投げ出すことである。今の心理学では投象作用と言う。心を投げ出した先の所に色や形という心、音という心、痛みという心が起こるのである。頭の中に起こるのではない。

さてそれでは、この根・境・識の正体は何だろうか? 仏教では「一切唯心」と言う。識(注意活動)が心であることは、どなたもご異存ないだろう。では次に、根(神経系統)と境(刺激)も心であるということを解明していきたい。

(・・・心とは何か(5) に続く )


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